JAC・YS-11 最後の大阪国際空港訪問
2006.9.17/2006.10.6
大阪国際空港(伊丹空港)と言えば、一昔前であれば、YS-11のステーション空港であった。今の北ターミナル、22〜24番スポットの奥のあたりは、通称「YSスポット」と呼ばれ、ものすごい数のYS-11が駐機していた。当時、ANAとTDAがそれぞれ40機以上、合計80機以上のYS-11を就航させ、その大半が大阪発着路線で使われていたことを考えれば、その「ものすごい数」も納得がいく。
しかし、大阪国際空港のA滑走路に特定機種のジェット機が乗り入れできるようになり、ANA、TDA/JASのYS-11の退役が進んだことにより、1995年を過ぎる頃には、JACのYS-11が1日数回、伊丹空港から出雲や隠岐などを往復するだけとなっていた。

2006年9月17日、台風避難で伊丹空港に飛来したJA8768




福岡へのフェリーフライトとして出発するJA8768。便名は7000番台を使用。
そのJACのYS-11も、2003年の大阪〜隠岐線の機材置き換えを機会に、YS-11の定期便としての乗り入れは消滅してしまった。その後、散発的にYS-11の運航が、DHC-8のメンテナンスなどの時期に復活していたが、これも2005年5月の大阪〜松山、大阪〜出雲線、6月の大阪〜松山線の復活を最後に、イレギュラーでの飛来に限られるようになってしまった。
YS-11の退役が発表されたが、その後の訪問はほとんどなく、このままYS-11がかつてのメッカ、大阪国際空港に飛来せずに終わってしまうのか、ということがかなり危惧されていた。そんな時に、台風避難で9月16〜17日、大阪国際空港を訪問する。16日午前、福岡〜高知線が、台風理由で往路で運航打ち切り。午後になって、YS-11を大阪国際空港に避難させることが急遽決定する。



飛来情報を聞きつけて、相当数の航空ファンが伊丹空港各地に殺到した。RW14使用の日であったので、伊丹市のエアフロントオアシスへの訪問者の数が多かったようだが、YS-11が福岡空港に向けてフェリーされる直前、RW32にチェンジされ、涙をのんだ航空ファンも多かったようだ。
私は偶然、東京からの戻り便を利用して到着、そのまま空港から車で伊丹スカイパークに向かい、YS-11の写真を撮影することができた。偶然通りかかった「運」だったと言えよう。最後にこんな写真を撮らせてもらえるだけでも良かったのである。

かつての古巣もMD-81とB737が占拠




全日空整備の前で方向転換し、RW32Rに進入
そして、9月29日の高知ラストで、台風避難でやってきたJA8768に乗り、9月30日には、YS-11の運航最終便にも搭乗した。10月1日に羽田にフェリーされたJA8766を見てそれで終了、それで私の国内の民間旅客機として飛ぶYS-11は、撮影などについては終了したはずであった。

ところが10月6日の午後、私の携帯電話が鳴った。いつもなら取らないことが多いが、今日はめったに電話のかかってこないK氏から着電。鹿児島にJA8768を追いかけて飛んでいったはずなのだが・・・羽田に直行でフェリーさせる予定が、伊丹経由で飛ぶことになったらしい。



職場から見ている限り、今日はRW32。仕事が17時までなので、定時で上がる。ダッシュで帰宅、カメラとエアバンドラジオを持ってとりあえずスカイパークに行くことにした。すでに日が落ちかかっているので、かなり厳しい撮影になると思われた。
JALのスポットが見られるエリアで、到着していないことを確認。車でスカイパークに向かっているところで、無線にYS-11のフライトと思われる交信が入ってきた。7852便、また7000番台を使っている。

小さく見えてきた




本当に来た(T_T)。
見ていると、明らかにYS-11のランディングライトが見えてきた。小さく見えていたYS-11がだんだん大きくなる。シャッターを切りつづける。RW32Rに着陸したのは、17時40分過ぎ。鹿児島を15時55分に出発した、という情報をもらっていたので、1時間45分もかけて飛んできたようだ。通常、この路線のジェット機のブロックタイムは1時間ほどである。



1時間くらいで出発していくだろうと思ったのだが、なかなか出発する気配がない。とりあえず19時まで待とう、と思ったが、19時20分の時点で動かなかったので、寒くなってきたこともあり、自宅に帰ることにした。もちろん、これで撮影できなかったら仕方がない、とは思っていた。ただ、帰る途中、万が一交信が入ったら、すぐに撮影ポイントに戻ることを考えていた。
車を走らせていると、RW14近くまで到達したところで無線交信が始まってしまった。「東京」へ出発するJAC便、そして7000番台の便名。間違いない。帰宅せず、今から向かえる最善の撮影ポイントを考えた。結論は、RW14Rエンド付近で正面ショットを狙う、ということだった。

ようやく出てきた




RW32Rに向かってタキシング
現れたYS-11は、乗客を乗せていないからなのか、客室が真っ暗のまま、50番台のスポットから出発してきた。おそらく、この機体にとって、「JACの機材」として飛ぶ最後のフライトへの出発である。ゲートウェイまで出たところで、RW32Rへ。そして、19時55分。大阪国際空港最後の民間旅客機登録のYS-11が、RW32Rから出発した。
2006年10月6日、この日で大阪国際空港の民間旅客機からYS-11が消滅し、過去帳の1ページとなった。




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