JN/JAC3806便 沖永良部→鹿児島
JAC・YS-11ラストフライト
しかし、空港周辺にはものすごい数の人、人、人。和泊町総出に近い見送り体制に加え、今回3807便や3806便のチケットが取れず、涙を飲んだ人も相当数含まれているのであろう。
一度空港ターミナルに入り、恐らく鹿児島到着まで不要になると思われる上着をチェックインすることにした。ところが、前回の沖永良部に撮影で来た時に酷い対応をされたのだが、そのレベルは1ヶ月で直るはずもなく(-_-)、上着1着を預けるのに「重量制限がありますので、客室内にお持込ください」とか言い出した。上着1着の重量制限って何?と思ったが、結局確認してOK。上着1着をYS-11の貨物室に載せるのに確認が居るなんて聞いたことがない。恐らくJALグループで一番の低レベル空港であろう。まあ、二度と来ることはないと思うけれど。

送迎デッキに人だかりができている。沖永良部では珍しいのではないだろうか。




とりあえずゲート通過
その上、キャンセル待ちの呼び出しも、「マスターメンバー●番、○○ ○○様」と、名前で呼び出し。今時個人情報保護の関係もあるので、「キャンセル待ち種別A、1番」のように呼び出される。そもそも「マスターメンバー」はJAS時代の呼び方(^^;)。ここは2004年よりも前で時が止まったままになっているらしい。離島空港ではドアサイドがついていても無視される、という話はよく聞くが、ドアサイド以前に対応そのものがこれでは、いくら離島で情報が遅いとは言え、あまりに酷いのではなかろうか。
カウンター近くで搭乗券を見せると、住所を記入する紙をもらうことができた。これに記入しておくと、搭乗前と到着後の記念写真を送ってくれる、というものである。種子島のラストフライトの時と同じやり方である。



セレモニーは関係者のみとのことで、我々は遠巻きに見るのみだったのだが、それでも一応ゲートは通してくれるというので、ゲートを通過してセキュリティエリア内に入った。花束贈呈などをやっている様子が見えるが、報道関係者のみ。JACの今回のラストフライトは、何でも「報道関係者のみ」で、セキュリティを理由に乗客を一切参加させていないのが腹立たしい。ANAがB747SRを退役させたのは今年。そのセレモニーは、3年前にANKがYS-11を退役させた時と同様、乗客が機体に寄せ書きできる方法を取っており、不可能ではないはずである。セキュリティというのはあくまで「いい訳に過ぎず、本当はやりたくないだけ」と言う意見はあちこちで聞かれているし、私もそう思う。JACの担当者は一度ANKの担当者の爪の垢でも煎じて飲ませてもらったらいい。

セレモニーは関係者のみ。望遠レンズ+トリミングで何とかここまで。




地元の子供たちによるエイサーでの送り出し
セレモニー終了後、ようやく機体に近づくことができた。記念写真を撮影し、ここで本村機長はインタビューを受けるなどしており、出発まではもう少しかかりそうだ。乗客はインタビューの様子を撮影したり、機体の写真を撮影したりして思い思いの時間を過ごしている。機体周辺での記念撮影が続いている間に本村機長が機内に入り、出発準備が完了したところで乗客も機内に入ることができた。
復路も同じ12A席。隣にはJACハンガー近くのイタリア料理店のオーナー、Iさんが座った。機内は63席全て満席。1席は警備搭乗のJAC係員が乗っているので、事実上定員は63席なのだ。JA8717の1A席横の部品を取った奴のせいで、1人の航空ファンが確実に涙を飲んでいるのである。



すでに定刻は回っているが、16時02分、ドアクローズ。YS-11が日本で有償旅客飛行できる最後の瞬間まで、あと1時間30分ほどになった訳である。タラップを持ち上げるモーターの音が止まると、エンジンスタート。16時04分、まず第2エンジン、続いて第1エンジンが回転を始めた。最後のフライトまで、快調の様子だ。16時05分、アナウンスが入る。「この飛行機は3806便鹿児島行き、YS-11のラストフライトでございます」との言葉が添えられた。機長以下乗務員は、本村機長、広瀬機長、東村マネージャー、仮屋マネージャーの4名、PICは本村機長と、往路と全く同じである。鹿児島までの飛行時間は離陸後1時間30分とのこと。エプロンをぐるっと一周して、沖永良部の人々、沖永良部で見送る航空ファンにお別れを告げ、誘導路から滑走路に入る。右に曲がったので、RW04からの出発であろう。16時09分、滑走路の端で向きを変えて出発準備完了。すると、本村機長、何を考えたのかフットブレーキを踏んだままエンジン出力を上げ始めた。スタンディングテイクオフをするつもりのようだ。16時10分、23秒RW04を滑走の後、YS-11は最後のフライトへと出発した。ちょうど空港ターミナルあたりで浮き上がった様子が見られたのではないだろうか。

最後のフライトへ搭乗




搭乗証明書の配布。クルーのサイン入り特別版。
往路にも感じたが、徳之島から沖永良部島にかけてのところに若干雲があり、所々揺れが予想されるのか、ベルトサインはなかなかオフにならなかった。洋上飛行に入った16時31分、ベルトサインオフ。往路と違って、まずは搭乗証明書の配布が行なわれる。この便の搭乗証明書は、本当に特別版である。すでに高知ラストでも配布されている、クルー4名のサイン入りのバージョンだった。おそらく乗員部の方々のアイデアであって、JACの本社のアイデアではないだろうと思う。本社は「売り物Tシャツ」「売り物カレンダー」を記念品で堂々と配布してしまうのだから、乗務員のサインが実は客を引けるとあまり思っていないだろうと思う。



16時52分、往路と同じように本村キャプテンのキャプテンアナウンス。全ての計器、装置などが順調に作動していること、予定高度が11000ftだったが、気流が良くないので9000ftで巡航することなどが案内された。もやが多く、見通しはあまりよくないが、気流の乱れがないので、揺れは少ないとのこと。鹿児島の予定到着時刻17時40分、現在の高度9000ft、巡航速度230ノットということが案内された後、やはり本村キャプテン独演会(^^;)が始まった。

その間にドリンクサービス。往路はアイスコーヒーとオレンジジュースだったが、復路はアイスコーヒーとスカイタイムのチョイス。スカイタイムをもらい、キャプテンのアナウンスに耳を傾けた。


最後のドリンクサービス。




巡航中
「今、私の頭の中で走馬灯のようにさまざまな思い出がぐるぐるぐるぐると回っております」という、往路と同じパターンで話が始まった。「日本の空を純国産機で飛ぶのはあと45分しかありません」などというメッセージの後、旧熊本空港(健軍飛行場)で、路線資格のチェック中にエンジンのオイル漏れが発生し、無事着陸したけれど、エンジンナセルやタイヤなどがオイルでずぶぬれになっていて、調べてみたら右エンジンのオイルキャップが緩かった、という話をまず紹介された。
2番目はJAC創業当初のお話。昭和58年に奄美大島でスタートしたJACは、当時社員が19名、9月28日時点では503名だそうなので、大きくなったものだ、ということを語られた後、当時はドルニエ228で、奄美大島から沖永良部、与論、喜界島を飛んでいて、酷い日は1日10レグのオペレーションを担当しないといけなかった話、旧奄美空港と名瀬市内を毎日JACのマイクロバスで、社長以下全社員と共に通勤していた話をされていた。



その後、YS-11の性能の話になり、ロールスロイス・ダートエンジンの出力は2660馬力、先ほどは沖永良部空港の滑走路のちょうど真中で離陸したので、1200m滑走路の600mしか使わなかったことなどを説明された。最後にロールスロイス・ダートエンジンの話をされて、「残りの時間、しっかりとダートサウンドを楽しんでください」と締めくくられた。往路よりは短かったが、それでも15分の大演説(^^;)であった。

一方、機内はというと、後方ギャレーの様子を撮影しようという人、トイレに入ろうという人が列を作っていたが、さすがに本村キャプテンの独演会が始まると大半の人が席に戻った。それでも後ろの席の奴は前に身を乗り出して撮影しており、私の席まで進出してきている。睨んでも効果なし。よほどレンズをふさいでやろうかと思ったが、しばらくして撮影し終わったのか、おとなしくなった。一部のマニアの狼藉もなく、客室は比較的平和な状態である。JACの運航関係の人が警備で乗っていることが大きいとは思うが。

エアコンの吹き出し口に水滴が・・・




水滴を拭いて回る仮屋マネージャー
キャプテンアナウンス、いやキャプテン独演会(^^;)が終わると、客室は思い思いの時間を過ごす時間になる。私は隣のIさんとお話をしていた。よく以前はJACのハンガーに入れてもらったりしたとのことで、今回はJACの人がチケットを確保してくれたとのことで、いわゆる「JAC招待客」みたいな人であった。ちなみに、セレモニーでYS-11に焼酎をかける、というのは鹿児島の風習で、車なんかを買ったとき、手放すときなどに、焼酎でお清めするんだそうだ。







談笑しているうちに、すでに機は洋上飛行を終え、鹿児島が近づいている。生憎天気が良くないので、下はあまりはっきり見えないが、すでに鹿児島空港が近づいていることは確かである。17時31分、シートベルト着用サインが点灯。いよいよ残り10分になった。17時34分、最終着陸体制に入った。これであと数分、と思ったが、どうもRW34の進入コースにしてはおかしい。高度が高いのだ。しばらくすると機内で歓声が上がった。何と鹿児島空港の上空を通過している。このままRW16にビジュアルアプローチで入ろう、と言うことらしい。本村、広瀬両キャプテンの、最後のフライトの演出は、「母港」の鹿児島にも感謝の意を示したようだ。JACの本社の上を通過し、左旋回して空港を左手に望む。最後に左旋回をかけて、RW16に正対、そのまま17時41分、RW16に接地、着陸。日本国内で1965年4月から続いたYS-11の運航が、41年6ヶ月で幕を下ろした瞬間であった。

ウォーターアーチを通過するJA8766(写真:M.A)




この後外が見えなくなった
タキシングを続け、予定通りT-3でタキシーウェイに入る。ウォーターアーチをくぐり始めるが、最初は消防車が見えるだけであった。そのうち、水飛沫が上がっているのが見え始め、真横に来ると「ベシャッ」と水がかかって、外が見えなくなってしまった。初めてウォーターアーチをくぐった。この鹿児島空港からのYS-11への演出も、10分遅れ程度だったので、何とか日が残っているうちに済んだのは良かったのではなかろうか。17時44分、17番スポットへ到着、エンジンオフ。これで日本の空でYS-11が旅客機として飛ぶことはなくなった。この瞬間で全てが終わったのだ。

ドアが開き、順番に降機。仮屋さんに見送られてタラップに出てみると、沢山のJAC職員の方々に出迎えを受ける。中には過去YS-11やサーブ、DHC-8などでご一緒した客室乗務員の方々が出迎えの職員の中に見えた。




乗客が降りた後、乗務員が最後のチェックを終えて降りてくる。本村機長、広瀬機長、東村マネージャー、仮屋マネージャーの順番でタラップに立つ。マスコミ向けではあるのだが、東村さんはすでに号泣されていた。後々新聞などのインタビューで、「着陸した時に、これが最後かと思ったら涙が出てきた」とコメントされていた。客室乗務員1期の方々は、入社以来ずっとこの機体と関わってきた訳で、本村機長ではないが、「走馬灯のように」いろいろな思い出があるのだろうと思う。

JAC3806便の乗務員の皆さん。




航空ファンと交流する本村機長
さて、最後に記念写真の撮影が終了すると、乗客はバスに乗せられてターミナルへ。その前に本村キャプテンにご挨拶を、というお客が殺到(^^;)。私も本村キャプテンには何度もお世話になっているので、ご挨拶。握手もさせてもらって、バスに乗りこんだ。「早くバスに乗ってください」というJAC係員の声に対しては、相当数のブーイング。当たり前だと思う。セレモニーにも参加させず、ここでバスに乗せるなんて、お客を何だと思ってるんだ。どうせ文句を言っても「セキュリティ上の理由」と言う、「お客を入れると面倒くさい」という本音があるコメントしか返ってこないんだから、何も言うまい。
バスの車内からは、「あ〜あ、終わっちゃった」、どこからともなくそんな声が聞こえてくる。到着からもうすでに20分くらい経過しているだろうか。時計も見ていない。
11番ゲートのところでバスを下ろされ、出発ロビーへ。そこから到着ロビーへの階段を降り、ターンテーブルへ。荷物をピックアップして外に出ると、テレビ局が居た。「ちょっとお話聞かせていただいてよろしいですか?」と言われたが、取材はお断りさせてもらった。ちなみに職場の先輩や同僚は私が乗っていたのを知っているので、ニュースで映るんじゃないかと「チェック」していたらしい(^^;)。




さて、その後はホテルに荷物をもらいに行くことにした。途中、航空局の駐車場にまだ人だかりができていたので入っていくと声をかけられた。8月の沖永良部撮影で知り合って、高知のラストフライトにご一緒したH氏、高知空港で撮影されていたF氏だった。機内組、外撮影組それぞれの情報を交換した。
何枚か撮影の後、ホテルへ。荷物を引き取り、ホテルのバスで空港ターミナルに送ってもらうと、もう19時を回っている。到着から1時間30分も経過しているではないか。鹿児島空港から市内へバスで向かった。

この向こうではセレモニーが・・・(-_-)




徳島空港・2006年4月(JA8788)
1965年4月から、41年6ヶ月。日本の空を飛び続けたYS-11の運航は、これで全て終了した。この41年の間に、国際線の花形も、国内線の花形も、そして国内ローカル線の花形も、全て何度となく世代を交代させた。その中で、1200m滑走路での離着陸ができ、またTDAとANAによって整備の方法が確立され、「雨漏りする欠陥機」から「信頼できるパートナー」となったYS-11は、その間、ジェット機の入れないローカル空港の花形であった。10年前であれば、日本最北(稚内)、最東(根室中標津)、最西(与那国)と、最南の波照間空港以外でその姿を見ることができ、また東京、大阪、札幌、福岡などの主要空港でもその姿を見ることができた。これだけの長期間に渡って使われ続けた旅客機というのも、他に例を見ない。2006年度一杯で、空中衝突防止装置(TCAS)のない機体は、日本で飛ぶことができなくなるという理由で、引退することになったが、機体としては「まだまだ飛べる状態」と言う。



これで日本の空からも引退し、フィリピンに渡った機体も、すでに風前の灯と聞いている。今後、航空自衛隊、海上自衛隊の保有機と、海上保安庁の保有機が、最後の活躍を続けることになっているが、現在三菱重工業が進めている小型ジェット機を1日も早く就航させ、YS-11に続く「純国産旅客機」で、再び日本の空を飛べる日が来ることを願いたい。

ありがとう、そしてお疲れ様、YS-11。

鹿児島空港 2003年12月(JA8717)




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