全日本空輸/エアーニッポン


ANAは、1964年の東京オリンピック聖火輸送にYS-11を使用したことを記念して、YS-11の愛称を「オリンピア」とし、時刻表にも「YS」「YS1」表記ではなく、「O」と表記するなど、社内呼称を「オリンピア」に統一して運航していた。
今でこそ日本航空と共に日本を代表する航空会社になったが、当時はまだYS-11でローカル線を中心に運航するような航空会社で、TDAと共にYS-11の最大級のオペレーターであった。
こちらも1970年代後半に中古のYS-11を買い戻すなどしたが、1970年代中盤からローカル線を日本近距離航空(その後のエアーニッポン)に移管し、1991年を最後にANAとしてのYS-11運航は終了した。
一方、日本近距離航空は、1986年に社名をエアーニッポンに変更し、2003年8月31日に退役するまで、YS-11を使いつづけた。

1990年3月、大阪国際空港で撮影したYS-11-117型(JA8707、#2030)。ANAで最後まで使用された後、アフリカ・ガンビアのガンビア航空に売却された。その後、ガンビア航空が消滅し、この機体も解体されたと思われる。

1993年6月に福岡空港で撮影されたYS-11-111型(JA8668、#2034)。一緒に写っているJASのYS-11は製造17号機という古参機の並びである。この機体はフィリピン・アボイティズ航空に売却され、部品用に解体されたと思われる。




1993年6月に福岡空港で撮影されたYS-11A-213(JA8728、#2096)。この機体は1996年頃に、他の機体を生かすためのパーツ取り目的のために、JA8726、JA8755と共に解体されてしまった。

1993年6月に福岡空港で撮影されたYS-11A-513(JA8743、#2115)。ANAからのリース機材で、1998年に現役を引退。現在は高松空港の向かいにある「さぬきこどもの国」に展示されている。




1990年3月に高松空港で撮影されたYS-11A-513型(JA8743、#2115)。この頃は大阪〜高松線がYS-11で運航されており、頻繁に見ることができた。現在、この機体はかつて自分が活躍していた場所を眺めるように保存されている。

同じく1990年3月、高松空港で撮影したJA8743/#2115。地上支援車を見ると時代を感じる。高松空港の向かいの、JA8743が翼を休めている「さぬきこどもの国」は、造成すらされていない。




1990年12月、高松空港で撮影されたYS-11A-213型(JA8734、#2103)。この機体は早くからエアーニッポンに移籍していた機体で、大阪国際空港などでその姿を見ることが多かった。

1990年12月にJA8734/#2103を撮影した別カット。現在この機体は、1999年1月まで現役を続け、翌月に兵庫県豊岡市の但馬空港に運び込まれ、現在も屋外展示の形で保存されている。




但馬空港に保存されているYS-11A-213/JA8734/#2103。1990年12月に搭乗/撮影して以来、実に15年ぶりに但馬空港で再会した。

1993年6月に福岡空港で撮影されたYS-11A-523(JA8769/#2138)。いつ頃登録抹消となったのかは分からないが、フィリピン・アボイティズ航空にRP-C3208として売却された。その後、写真等が出ていないところを見ると解体された模様。




1990年12月、大阪国際空港で撮影されたYS-11A-523(JA8769/#2138)。
最後のANA便に使われたのもこの機体で、その後エアーニッポンに移籍している。

左の写真と同じ時に撮影したJA8769/2138のANA時代の姿。





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