チェックインカウンターのボード



午前4時。モーニングコールによって起こされる。眠い、と思うのだが、YS-11に乗れるかと思うと、自然に目が覚める。この辺りはI氏も同じようで、昨晩あれだけ夜が遅かったにもかかわらず、テンションが低くなかった。
タクシーでニノイ・アキノ国際空港の国内線ターミナルへ行ってもらう。以前はエアフィリピンもここを使っていたのだが、フィリピン航空との提携強化で第2ターミナルに移ってしまった。したがって現在はセブパシフィック航空とアジアンスピリット、SEエアの3社が主に使っているということになる。



朝5時過ぎのNAIA国内線ターミナル。早朝とは思えないくらい。



今日はアジアンスピリット便に乗る訳だが、フィリピンの国内線の朝は異常と言ってもいいほど早い。どうもスペイン統治の影響なのか、朝早く起きて、昼間に小休止を取り、また夕方まで、ということをするらしく、その流れでバスの運行ダイヤが早朝に傾き、飛行機もまたその流れを汲んでいる、ということのようだ。アジアンスピリットも、稼ぎ頭のカティクラン線を除けば大半が午前5時代、6時代の早朝フライトが1日1往復運航されておしまい、という目的地が多い。
こんな状態なので、マニラの国内線ターミナルは、早朝にもかかわらずごった返していた。セキュリティチェックを通過し、チェックインをする。フィリピンでは空港内に持ち込む手荷物は全てセキュリティチェックするということである。爆弾テロ対策であろう。
チェックインカウンターはすでに開いており、航空券を渡すと、以前セブパシフィック航空に乗った時と同じような搭乗券が発行された。4年前に乗った時は手書きの搭乗券だったので、隔世の感がある。座席はばらばら、ということは結構混雑しているようで、I氏は最前列通路側の1B、私は7Cと言うエンジン横の席に座ることになった。

といって、この席番からこの便の機材がYS-11である保証はなかった。とにかくゲートが開いて、飛行機に案内されるまで、乗れる飛行機が何か分からないのである。残念ながらフィリピンの航空会社では、時刻表に機種を掲載しないなどは当たり前である。ゲートは定刻5分前になってようやく開き、徒歩で飛行機へと案内されるとのこと。歩いていくと、そこには

YS-11が止まっていた





のである。RP-C3592、4年前のフライトでも使ったのと全く同じ機体。元はANK所有のJA8735である。アジアンスピリットのタイトルが小さく入っている唯一の機体で、最近のairlines.netに掲載されたYS-11の写真はほとんどこの機体である。





早朝でまだ日が昇っていないうちの出発ということで、YS-11の機内も薄暗い。定刻5時45分になっても出発せず、5時58分、行き先と機内の安全関係の放送が入れられた。6時02分、ドアクローズ。6時03分、プッシュバック開始。ここれ「あれ?」と思った方は鋭い。日本のように、YS-11 を含めてプロペラ機はスポットでエンジンスタートさせて自走する訳ではなく、プッシュバックしてトーイングし、ランウェイの近くのエンジンスタートが許可されたゾーンで初めてエンジンスタートできるというシステムになっている。その間に機内アナウンスが入る。機長はDさん、副操縦士は Lさん、サンホセまでの飛行時間は1時間、高度は11000ftとのこと。その後エマージェンシーデモが行われると、6時07分、ようやくエンジンスタート。ロールスロイス・ダートのエンジン音が機内に響く。おそらくこのパターンだとRW13からの出発になるんだろうな、と思っていると、6時 11分、ベルが2回。すぐに「まもなく離陸」の機内アナウンスが入った。6時13分にランウェイに入ったが、しばらくホールド。6時17分にRW13を 28秒滑走して離陸。離陸時特有の甲高いダートサウンドも十分聞くことができ、完璧。その後、日本ではありえなかった5分後の6時22分、ベルトサインオフになった。






水平飛行に入ると、客室乗務員が新聞を配り、続いて水とジュースを配る。以前はここでスナックパックも配っていたのだが、フィリピンでもコストダウンなのかもしれない。






配ったドリンクのゴミを回収して機内サービスが終了し、6時51分にベルトサインオン。新聞が回収され、着陸の準備に入る。客室乗務員の2人はまだ機内の点検などをしていたが、7時02分にギアダウンと同時に、キャプテンからの着席放送が入る。フィリピンの航空会社は、「Cabin crew, landing station」という放送で、座席につくようになっている。7時05分、サンホセ空港RW10に着陸、07分にスポットイン、08分ドアオープンとなった。まずはYS-11に1レグ乗れたことに対する安堵であったが、結構早朝で眠く、I氏は爆睡していたらしい(^_^;)。






サンホセ空港で復路便のチェックイン。フィリピンの空港では、乗り継ぎという考え方はあまりなく、基本的に直行便を利用すると考えられていることや、コンピュータの端末化が主要空港を除いて進んでいないことがあり、各空港でのチェックインがベースになる。したがって我々のように、乗ってきたYS-11に再び乗って帰る客は相当稀な訳で、チェックインカウンターに行くと、搭乗券に名前が書き込まれてすでに準備されていた(^_^;)。復路は 16A/16Bで、最後尾の席である。YS-11の「特等席」であろう。ちなみにこの機体、元ANA系なので、16番が最後尾だが、JACの場合は13番が欠番になるので、17番が最後尾になる。したがってJACのYS-11で言うところの17A/Bになる。

ふと見回してみると、衝撃的なポスターが貼られていた。

「マニラ〜サンホセ線、BAe146でジェット機になり、所要時間は30分に短縮!」

アジアンスピリットの時刻表で唯一YS-11が飛んでいる路線であったマニラ〜サンホセ線が、とうとうBAe146に置き換えられることになったらしい。ただし、何時ということには言及されていないのがフィリピンらしいところだが、少なくとも1〜2ヶ月先で運航終了ということになるようだ。いよいよYS-11が民間旅客機として飛べるのもあとわずか、ということか(実際は2008年3月まで運航)。






空港税30ペソを払ってセキュリティチェックを通過し、待合室に入る。いかにも、と言った雰囲気の空港で翼を休めるYS-11。この光景が見られるのもあとわずかなんだな、と思った。さて、7時30分頃から搭乗開始。徒歩でシップに向かう。もちろん乗ってきたのと同じYS-11なのだが、タラップを上がったら客室乗務員のお姉さんが「あれ?」という顔をした。そりゃそうだ、まさか往復するとは思ってなかったに違いない。「YS-11に乗りに来たんだ」と言うと、「日本人?」と聞かれた。日本人以外でも欧米人ならやるかもしれないが、東洋系でYS-11に乗りに来た、と言えば日本人になるのかもしれない(^_^;)。

さて、7時38分にドアクローズ。こちらの空港は自分でタキシーダウンしないといけないので、すぐにエンジンスタートとなった。3分後の7時42 分に「間もなく離陸」のアナウンスが入り、7時45分、RW28から28秒の滑走で離陸。ベルトサインオフには少々時間がかかって、7時55分にサインオフとなった。






サービスは往路と同じ。往路はジュースをもらったが、復路は水にした。というのは、水にしかアジアンスピリットのロゴが入っていないのである(^_^;)。

ちなみにこのYS-11、8番の席が撤去されており、9番が異常に広い。私がJA8735に日本で乗った時の席はすでにない訳だ(^_^;)。この機体には、日本で1回、フィリピンで4回乗ったことになり、JACのYS-11ほどではないが、ANKの所属機では最も回数が多いのではなかろうか。






客室乗務員の方といろいろと話をすると、どうもこの次に乗るバギオ行きはYS-11ではなくDHC-7で運航されるらしいことや、明日のマスバテ行きもDHC-7であることなどを教えてくれた。「ATPは?」と聞くと、「メンテナンスに入ってるの。」とのことで、どうもATPも相性が悪いらしい。「マスバテ行き、サンホセにするかも」と言うと、「何で?」と聞くので「いや、どうせならYS-11に乗りたいし」というと、半ばあきれていた(^_^;)。彼女は愛想もよく、感じの良い人であった。

8時21分にシートベルトサインがONになり、フ8時35分にギアダウン、同時に客室乗務員に「Landing Stationに戻れ」コールが流れた。8時38分、ニノイ・アキノ国際空港RW06に着陸。第2ターミナル脇から第3ターミナル前を通って国内線ターミナルへ向かい、7時48分にスポットイン、1分後にドアオープンとなった。

CAさんが地上スタッフに聞いてくれたところによると、やはりバギオ行きの760便はDHC-7で運航されるとのこと。少なくとも1往復2回の YS-11に乗れたので良いのだが、DHC-7に4回も乗らないといけないのは面白くない。やはりマスバテ行きの予約変更をしないといけないのだろうが、次のバギオ行きまで1時間ほどしかないので、バギオから戻ってきたら考えることにしよう。
聞いてくれたCAさんにお礼を言って客室の前方へ、そしてコックピットドアが開いていたので、機長のDさん、コパイのLさんにお礼を言って降機。この便のクルーには、この後思わぬことで再会することになってしまう。



毎度のカウンターのボード



さて、次のフライトへのチェックインを済ませないといけないので、再び国内線の出発ロビーへ。日本だったら乗継扱いで通ってしまいそうだが、ここはフィリピン、そうは行かない。次便の6K760便は、先ほど聞いてもらった限りではDHC-7ということで、チェックインをすると、7Aと 7Bが返ってきた。



これで125ペソ



お腹も空いたので、空港内で軽食。炒飯と鶏ひき肉のチリソース風を載せた軽食が125ペソ、313円。これでとりあえずの空腹は満たされる。程なくしてバギオ行き760便の搭乗が始まったので、ゲートを通過。



搭乗機のDHC-7(RPC-2978)



徒歩で機体へと案内される訳だが、目の前に居たDHC-7に通された。RP-C2978のレジスタの機体で、後々調べてみると、元ハワイアン航空の機体。その後マイアミのパラダイス・アイランド航空で使われた後でフィリピンに渡っており、さらにアメリカに戻ってフィリピンという、結果2カ国の間をさんざん行き来した機体らしい。アジアンスピリットに登録されたのは2003年5月なので、初回訪問の時にはすでにフィリピンの空で飛んでいた機体である。

定刻14分前の9時46分にドアクローズ。珍しく定刻より早い。9時47分、プッシュバック開始。9時51分に機内アナウンスが入り、機長はフェルナンデスさん、飛行時間は45分、高度は16000ftを予定とのことがアナウンスされた。#4エンジンからスタート、続いて#3がかかるはずなのだが、いつになってもエンジンがかからない。それどころかコックピットのドアがフルオープンで、コックピット内から緊迫した雰囲気が伝わってくる。ははぁ、これはエンジンがスタートできないな、と思っていると、しばらくしてメカニックが何人か機内に入ってきた。どこから入ってきたかと思ったら、後部ドアが開けられたらしい。しばらくドタバタやっていたが、結局#1エンジンをスタートさせ、ターミナルへ戻る決断をしたようだ。#1と#4エンジンの推力だけでターミナルビルに戻り、バスでゲートへと送り込まれた。



バギオ行き6K760便は「DELAYED」の表示



しばらくして6K760便の乗客向けにアナウンスが入った。1時間遅れで、機材を変更して出発するとのこと。まあ、どうせDHC-7の別の機体か、空いてるBAe146でも廻してくるんだろう、と思ったのだが、I氏と「もしかしてここでYSが来るかもね」などと言っていた。


YS-11へと案内された!!



1時間ほど出発ロビーで過ごすと、10時50分になって出発の準備ができたようで、ゲートへ。搭乗券を見せてバスに乗り込む。全員が乗り込んだところでバスは発車し、さてどこに向かうのかと思ってみていると、BAe146のところで一旦止まるかに見えた。ところがバスはさらに走って、何とI氏と冗談半分で言っていた「YS-11の前」で止まったのである。シップはサンホセ往復で利用したのと全く同じRP-C3592、元JA8735であった。 airliners.netで見た限りは、2004年くらいまではRP-C3588(元JA8787)も飛んでいたようだが、今はこの1機だけが稼動機なのだろう。タラップを上がって乗ってみると、サンホセ便と全く同じCAさん2名。話をしたLさんが苦笑して、「また会ったわね」などと言われてしまった (^_^;)。
定刻を1時間8分回った11時08分にドアクローズ。高度11,000ft、飛行時間1時間、クルーはサンホセ行き541/540便と同じ D機長以下4名のクルーである。プッシュバック、トーイングでエンジンスタートという方式は同じ。11時13分にエンジンスタート。クルーが顔見知りなので、席を替わるのも「OK、いいわよ」で終わってしまう(たいていはバランスを理由に離陸後にしてくれ、と言われる)。11時14分に「間もなく離陸。CAはStationに」のアナウンスが入る。11時19分、RW13を24秒滑走してエアボーン。



NAIAが下に見える



離陸後旋回し、NAIAの上空を通過して北に向かった。11時27分にベルトサインオフ、その後機内サービスが始まるはずなのだが、何もない。 CAの2人はなぜか16ABCDを確保してデスクワーク、そのうちLさんに話しかけられて、フィリピンに何しに来たかなんて話をすることになったのである。



6K760便の機内



「機内サービスしなくていいの?」と聞くと、何と「お客に出すもの何も積んで来なかった」という笑えるような、笑えないような話。多分DHC-7から下ろしてる閑がなかったんだろうな、とは思ったが、それにしても機内では水もジュースも出ないことになった。 まあ、その分いろいろな話を聞くことができた。LさんはCN235以外のシップに乗るライセンスは持っているそうだ。このあたりは日本の航空会社と同じらしい。本当はYS-11の後、BAe146でカティクランに飛ぶスケジュールだったそうだが、DHC-7がトラブルを起こしたので、急遽YS -11に乗ってくれ、となったらしい。おそらくDHC-7に乗っていた2人が、YS-11のライセンスを持っていなかったのだろう。



山が増えてきた




少しだけ棚田があった




バギオ市街を通過



窓の外の風景がだんだん山がちになってきた。ルソン島の北部は山がちで、バギオ空港も標高4200ft、つまり約1200mのところに位置する空港である。滑走路長は1600m、したがってフィリピン空軍のフォッカー27とYS-11、STOL性能が優れているDHC-7あたりは着陸可能だが、ジェット機はBAe146だったら何とかなるレベルだろうか。松本空港の標高が657mであることを考えたら、日本では考えられないようなオペレーションが発生していると言えよう。さらに、空港の所在地も山間の空港らしく谷底のようなところにあり、1987年に悪天候の中進入していた、フィリピン航空の HS748が墜落事故を起こしている。
11時55分、周りが山ばかりになったところでシートベルトサインON。高度が下がるというよりも、谷を下っているかのようなアプローチである。バギオの街を見つつ、ファイナルアプローチ、12時04分にRW09に着陸し、今回のYS-11、棚ボタの3レグ目を終了した。



YS-11のシートボード




搭乗券



バギオの空港ターミナルに入ってチェックイン。「何で今頃来たんだ」と言われたが、「いや、今着いたところだし」と言うと、「そうなのか。で、何でバギオに滞在しない?」「YS-11に乗りに来た」という、毎度の問答を繰り返すことになった(^_^;)。バギオは空港の規模は小さいが、売店が1つあるなど、他の空港と比べると少しはましな雰囲気。ただ、ここも一時期LET410で週4便まで運航頻度を落としていた路線なので、路線存続などが問題になるのかもしれない。夏はフィリピン政府の要人が避暑にやってくるので、首都機能がバギオに移転することもあるらしい。



博物館の展示機材のように見えるバギオ空港でのYS-11



30ペソの空港税を支払ってセキュリティチェックを通過。待合室に入ると、面白い角度でYS-11を見ることができた。この空港は階段を使って下に降りるとターミナルビルがあるので、まるで博物館の展示機材になったようなYS-11の姿を撮影できてしまう。通常はこの空港にYS-11は来ないので、こんなショットも貴重品であろう。



バギオでのYS-11のショット




あと何回ここで見られるだろうか



搭乗開始になったのでゲートを通過。乗る前に散々撮影してから、再びRP-C3592に乗り込んだ。おそらくこのフライトがYS-11最後のレグになると思われた。



柵も何も無い平和な空港



12時27分ドアクローズ。28分エンジンスタート。機内アナウンスとエマージェンシーデモが行われる。31分、「間もなく離陸」のアナウンスが流れた。12時33分、RW09を25秒滑走して離陸。マニラへの短い空の旅が始まった。往路で飲み物を積んで来なかったということは、復路も何も出ないということになる。12時42分にベルトサインがオフになったが、アナウンスが入っただけで、2人のCAは書き物をしてお仕事中であった。



山の中を飛んでいく



機窓風景は最初は山がちであったが、だんだん山がなくなってきて平地になるという、ルソン島の地形のままの風景であった。山地の部分の方が少ないので、平地になってからもまだまだYS-11のフライトは続く訳である。
最後になると思われるこのフライトで、ロールスロイス・ダートエンジンの音の聞き納めになるだろうと思った。YS-11が飛べるのは、おそらくこの1機が、あと1〜2ヶ月と言ったところである。いよいよYS-11が、エンジン音を響かせて飛ぶのもあとわずかということになる。JACのYS-11の華々しいラストセレモニーのようなものは、彼女たちの引退には用意されていないが、ある意味最も正しい形で飛行機が役目を終えていこうとするその瞬間に立ち会おうとしている、その実感は強かった。



マヨン火山とマニラの街並み



12時57分、シートベルトサインが点灯。結局、「積んで来なかった」のでドリンクは出なかったが、サンホセ往復の復路で水を飲んだのが、YS- 11の機内サービスで飲食した最後のもの、ということになるようだ。13時21分、最終着陸態勢に入った。CAにステーションに戻るよう指示が出た。13 時26分、RW06に着陸。再び建設中の第3ターミナルの脇を通過して国内線ターミナルに到着。歩いて戻れる場所に駐機してエンジンが切られた。2007 年2月10日フィリピン時間で13時37分、私にとってのYS-11のフライトは、おそらく終了した。







マニラに到着したYS-11



降機の時にLinさんと握手して降機。フィリピンまでわざわざやってきた価値があったと思った。
このJA8735、後のRP-C3592は、2008年1月、マスバテ空港でハードランディングして、フィリピンでの5年に渡る活躍を終えた。そして、フィリピンでのYS-11も、2008年3月で運航を終了した。



マニラ国際空港近くの某所に展示されている

今日は朝からマルコス元大統領が乗ったというYS-11の見学に行くことにした。最終日だけにもう見尽くしたマニラ市内を散策するくらいなら、マルコスのYS-11でも見たほうがいい。イメルダ夫人の靴を見るプランもあったが(^_^;)、それよりYS-11である。


フィリピン共和国のエンブレム

空港近くのフィリピン空軍博物館までタクシーで行き、まずは機体の展示ではなく、施設についての展示を見る。その中には、ルパング島で見つかった小野田さんについての展示もあり、戦争とは何か、などを考える時間でもある。その後、マルコス元大統領の専用機だった、RP-77、フィリピン政府専用機であったYS- 11A-523の内部を見学させてもらえることになった。ただし、現在は修復作業中とのことで、若干見苦しい写真になってしまうのは勘弁していただきたい。


修復作業中

展示施設のおばちゃんにゲート通過の証明書をもらい、中へと入る。すると、一番奥ならが最も目立つ場所に、マルコス元大統領の専用機であったYS -11、RP-77が展示されているのが見える。マニラ・ニノイ・アキノ国際空港に放置されているYS-11は、部品を取られ、中にはまさにばらばらに解体されようとしている機体も多い中、この機体は明確に保存の意思を示されている唯一のYS-11、ということになる。


随行員用の客室

製造は1972年の製造番号179番。おそらく182機製造されたYS-11の中で、自衛隊に納入された一部の機体と同様、数少ないVIP仕様であろう。YS-11A-523型とのことで、基本仕様は旅客型の-500型であり、軍用型の-400ではない。


応接スペース?4人用の向かい合わせソファーのシート



ギャレー

機体はちょうど修復作業が行われており、古い塗装を落として元の塗装に戻そう、ということのようだ。1972年にフィリピン空軍に納入されてから1993年まで使用された、と機体の説明にはあり、マルコス元大統領の専用機として使用された経歴が記載されていた。


応接スペースから客室後方を見る

機内も自由に見学できるようになっており、タラップを上がって機内へと入った。まずびっくりしたのは、コックピット後ろに警備員用の席があり、そしてトイレ、ギャレーがあるということ。これは旅客型ではありえない設定である。


ソファーシートの部分



パウダールーム

さらに進むと、随行員用の客席、続いて応接用なのか、ボックス状になったシートが1組。その奥に横長のソファーと、おそらくマルコス元大統領が座ったであろう椅子があった。客室最後方には、通常貨物室やギャレー、トイレになっている部分にイメルダ夫人が使ったであろうパウダールームまであり、この機体が一体どういう目的で納入されたかを明確に物語っている。


コントロールパネルは英語


製造パネル


コックピットにはレジを示すプレートがあった


コックピットはほとんど同じ

自衛隊向けVIPタイプに乗ったことがある訳ではないので、比較することは難しいが、おそらくこのRP-77という機体は、フィリピン政府の特注品で、自衛隊向けのVIPタイプとは全く違う機体であるとも言えよう。この内装で生産されたのはわずかに1機、その1機が、マニラ国際空港の脇の某所で、フィリピン政府によって手厚く扱われ、保存されようとしているということに深い感銘を覚えた。


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